IMG_4330sssssss-main-oomori-kaizuka.jpg2016年4月1日。東京の満開宣言の翌日ですが、大森は満開の一歩手前で、まだまだ莟も目立ちます。ここはJR大森駅から品川駅方面に池上通りを歩いて、5〜6分のところにある『大森貝塚遺跡庭園』です。

毎年この時期、園内は保育園の子供達や、近所のママ達が子供を連れて集り『花見ランチ』をしていて、とてものんびりとした良い雰囲気の憩いの場所です。

上の写真は園内東側から東海道本線と大森の街を見下ろした光景です。シャッターを切っていると、ちょうど251系『スーパービュー踊り子号』が通り過ぎて行きました。手前の桜と、線路の向こうの桜並木の間を走るロケーションは、期間限定の『花満開のラッピングトレイン』にぴったりの光景でした。

IMG_4243sssss-kaizuka-palk.jpgIMG_4248sssss-oomori-kaizuka-palk.jpg『大森貝塚遺跡庭園』は年間を通じて休園はなく、いつでも気軽に無料で入園出来ます(通常/9時〜17時、7〜8月/9時〜18時、11〜2月/9時〜16時)。園内には多くの樹木や30分間隔で噴出するミストの広場、またこの大森貝塚を発見し、発掘調査して大いなる功績をあげた、動物学者エドワード・S・モースの像もあります。
ちょっとした高低差のある敷地は、満開の桜の風景に変化を醸し出していて絶好のお花見ポイントになっています。
またJRに面していて撮影ポイントとして鉄道好きに嬉しい庭園です。

IMG_4266sssss-oomori-kaizuka.jpgIMG_4285sssss-oomori-kaizuka.jpgまた庭園の脇ににある歩行者用のトンネルを通って、JRの東側に抜けたところには、線路沿いに長く続く『大井水神公園』があり、桜並木の光景が素晴らしいので、そちらも一度訪れてみる価値があります。

IMG_4402sssss-oomori.jpgIMG_4398ssss-oomori.jpg嵐さえなければ、4月の5日(火)〜6日(水)くらいまでは桜の花は保ちそうです!

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IMG_6293sssss.jpg都会の複雑な造形物の中で、ひときわ『かがやき』を放つシンプルで存在感のあるフォルム。広大な面積の単色のほっぺたは、悪戯に未来的ではなく、静けさの中に和のこころさえ感じさせます。
この写真は開通してちょうど一ヵ月が過ぎたの4月14日に東京駅の21番線ホームでの一コマです。
と、いうことでとうとうE7系『かがやき』に乗車しました!妻が...。
午前8時44分東京発・金沢行き『かがやき』521号。残念ながら今回は富山出張だったので終点の金沢までの乗車となりませんでしたが、揺れも少なく静かで快適な乗り心地だったようです。

IMG_6300sssss.jpgIMG_6311sssss.jpgとなりの22番線ホームで発車を待つ未来的なフォルムのE5系『はやぶさ』と比べても、最高速度の大きな違いこそあれ、E7系はシンプルなデザインで、歴史と伝統の町・金沢に向かうにふさわしい大人な仕上がりになっていると感じます。もちろん1964年に登場した初代新幹線『0系』に比べれば、大胆で未来的なフォルムで、その当時の未来予想図がその具現化したような感があります...。

IMG_6281sssss.jpgIMG_6318sssss.jpgIMG_6319sssss.jpgIMG_1195.JPG
観光路線の枠を超えビジネス路線としての伸びも考慮して、車内には全席に電源コンセントが設置され、後発の新路線なので初代の車輌から最高のサービスと快適性が備わっているようです。ちなみに東海道・山陽新幹線のA700系『のぞみ』に設置してあるような喫煙ルームは無く、全車両禁煙になっているようです。

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DSC04607ss.jpgこの居住性は秀逸だ!さすが国産高級車の椅子の技術を投入しただけの事はある!
ということで、この写真は2015年2月に偶然立寄った東京ドームシティ・プリズムホールでの一枚です。
北陸新幹線の開業を記念して石川県の名産品を紹介していた『加賀・能登・金沢 いしかわ伝統工芸フェア2015』の会場の一角に、立派なブースを設けて北陸新幹線E7系グランクラスの椅子の試乗会を開催していたので思わず越しかけてみました。

DSC04600ss.jpgDSC04603ss.jpgDSC04615ss.jpg

座面や背もたれは、国産高級車のシートと比べやや柔らかめの設えで、車よりも揺れが少ないためか、ホールド感は控えめで、逆に体の動きの自由度を高くした設定に仕立ててあり、ゆったりとした形状でした。当然質感はかなり高く、国産高級車というよりは、むしろその質感は英国車の『ジャガー』のような風合いのもので仕立てのしっかりした椅子でした。
上手に格納されていたテーブルも、広げるとかなりスペースは広く、リクライニングは右肘掛け先端に設置された集中操作盤の大きめのスイッチを軽く押すだけで簡単に調整できました。そして自由に角度が調整できる読書灯も備わっていて、2時間半の短い旅にはもったいないと思うくらいの豪華さでした。

DSC04573ss.jpgDSC04598ss.jpgDSC04644sssss.jpg

また会場では石川県観光PRマスコットキャラクター「ひゃくまんさん」と「ミス百万石」も、観光PRに参加していて、会場を盛り上げていましたが、「ひゃくまんさん」の動きには、かなり制約がありコミュニケーションが取りづらそうでして、「ミス」の二人とのやり取りもどことなくチグハグでした。しかし他県のそれとはひと味違って、加賀百万石らしくどこか品格のある『ゆるキャラ』でした。

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chuukiyoIMG_5872sssss.jpgここは新幹線の聖地、東京駅。奥から東海道新幹線700系、上越新幹線E2系、上越新幹線E4系、東北新幹線E5系、そしてデビューしたての新人アイドル、北陸新幹線のE7系です。
1964年(昭和39年)の東海道新幹線の開通当初に、こんなSFのような東京駅の光景を誰が想像できたでしょうか...。...しかしE5系の鼻がちょっと長過ぎて構図的にイマイチなのが気になるりますが...。それにしてもこうやって並んでみると壮観です。

DSC01803sssss.jpg

そして、もう一枚の写真は2006年の10月に北陸本線の特急『はくたか』の車内から『越中宮崎駅』の通過時に撮った光景で、『北陸新幹線にのりたいな』のキャッチコピーに大きな期待が寄せられている様子が伺えます...。が、長野新幹線と同じE2系が描かれていて、ほとんど希望に溢れた未来感がないところが現実的な感じがして、『夢の超特急』世代としては、何か物足りない看板でした。

『北陸新幹線』は、東海道新幹線が開通した直後の1965年に構想が発表され、1998年に長野・金沢間が着工しましたが、この写真を撮った頃は、トンネル工事などが先行したためか、北陸本線沿線ではまだ工事の様子はほとんど見受けられず、金沢駅での受け入れ態勢が整っていた以外、金沢に向かう道すがら、なんとなく線路の左側に空き地が多いなぁ〜、という感じくらいでした。
それが今や金沢まで開通し、大人気の路線になって、目出たし目出たしです!ただ第三セクターになった在来路線の今後が少し気がかりですが...。

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w01-419系-715系03ss.jpg上の写真は1985年(昭和60年)10月15日・鳥栖駅での一枚です。なにやら鉄道模型マニアがノーマルな世界には飽き足らず、妄想をめぐらせて作った『なんちゃって車輌!』のような光景です。
この写真も今となっては、かなり懐かしい光景ですが、1987年(昭和62年)4月1日に『国鉄』が分割民営化して『JR』に変貌する直前にはよく見られた合理化への象徴的な一コマです。

DSC02378ss.jpgDSC07735ss.jpgDSC07751ss.jpg当時は今のJRに見られるような資産の整理や経営の多角化などの抜本的改革では無く、手持ちの資産を如何に節約し合理的に使うかが改革の中心で、人材も資産もズタズタになっていたことが、この一枚からも伝わってきます。
これはこれで、鉄道ファンにとってはたまらない光景ですが、一方で国鉄の威信を掛けて1967年(昭和42年)に直流・交流60Hzの581系をデビューさせ、翌1968年(昭和43年)には50/60Hz対応となる583系が登場。世界初の動力分散型で、国鉄の持つ技術力を満載させた昼夜兼用の電車寝台特急車輌が、ここまで改造されて臨時急行や通勤電車になるとは...なんだかとても悲しい思いがしました。

DSC06664ss.jpg元々は1964年(昭和39年)の東海道新幹線の通業により、その新大阪以西の山陽・九州方面の特急列車の強化と効率化を具現化し、後に東北地方にも進出した世界でも珍しい昼夜兼用特急電車なのですが、その昼夜の切り替えの煩雑さや、そのための人員を多く要したことで、必ずしも高効率とはいかず、また昼間のボックスシートも不評なことに加え、昼夜に渡って長時間酷使されたために、車輌全体の老朽化も他車に比べ早く、挙げ句の果てには1975年(昭和50年)3月10日の山陽新幹線の全線開通と1982年(昭和57年)に東北新幹線の大宮駅 - 盛岡駅間の開業で、完全に寝台特急の花道から姿を消してしまったのです。

また1982年頃には多くの路線では、中距離輸送の電気機関車が牽引する客車を、短編成の電車に置き換える動きがあり、余剰車輌となったこの583系を見事な(強引な)改造で交流区間に導入したのです。
ちなみに、交直両用を交流専用にした九州地区の715系(写真一番上・グリーンの帯)と、交流区間と直流区間のある北陸地区用に交直切替機能を残した419系(ブルー帯)の2系列に改造され、先頭車輌の不足から中間車のサハネに運転台を取付けた100番台や、3両編成用に中間電動車に運転台を取付けた1000番台など、幸か不幸かファンにはたまらない改造が施されています。

今後新幹線網やリニアが整備されるに連れ、このような改造が増えるのか、または改造には適していなステンレスやアルミ合金製の車輌が増えたので今後はあまり見られなくなるのか?...気になるところではあります。
またNゲージやHOゲージで既成の模型を改造して作ってみるのも面白いかもしれませんし、現実には有り得ない妄想改造車輌を作るのも醍醐味かも...。

DSC09543ss.jpg今や空前の鉄道ブームで、多くの書籍、グッズ、DVDなどが販売されていて、色々な楽しみ方が出来ますが、その反面、何を購入したら良いか迷ってしまうのも事実。
特にDVDはどれも似たような物が多く、その大多数が、近年の映像ばかりのようです。

昭和の国鉄時代のファンにとっては、例えばステンレスやアルミ製の気動車が山深い単線区間を疾走している光景には少しだけ違和感があるというもの...。そんな中、最近発売された『映像で綴る 懐かしの国鉄時代 昭和の鉄道』(DVD全12枚+特別鑑賞冊子付き)は、なかなかの内容のようです。

DSC09540ss.jpgDSC09546ss.jpgDSC09547ss.jpgss140627160346.jpg

先日、我が妻がその販売元の『ユーキャン』が運営する『ココチモ』の展示を見に行って来たのですが、かなり豪華なDVDのようで、国鉄よりも古い『鉄道省』時代の車輌の走行シーンや駅の光景など、多数の貴重な動画が、年代別に収録されていて鉄道コレクションには絶対欠かせない充実の内容です。
しかも『特別鑑賞冊子』がついていて、鮮明な写真や、蒸気機関車の図面などは夢のような完全保存版のアイテムです。

ss140627160347.jpgDSC09554ss.jpgDSC09557ss.jpgDSC09561ss.jpg

最近では名古屋市にある『リニア・鉄道館』や、さいたま市の『鉄道博物館』での昭和の車輌の展示や、BSフジの番組『鉄道伝説』などが、ドキュメントタッチで昭和の鉄道を取り上げていたりして、若いファンなどにも、国鉄時代の鉄道が人気になって来ているので、こんな豪華なセットが実現したのだと思いますが、昭和の鉄道ファンには実にたまらないグッズです。

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DSC04386ss.jpg東海道新幹線が開通した当時の1960年代に、流線型の顔同士が向い合わせで連結され運用されることなど誰が想像したでしょうか...。昭和30年代に子供だった『夢の超特急』世代にとって、これはあるまじき行為に他ならないのであります。
この写真は2012年8月の東京駅21番線で長野新幹線の『あさま563号』に乗る前に撮影したもので、まさに『夢の』から、合理化という『現実』に引き戻された1枚です。

このE5系とE3系のラブラブな感じは『夢の超特急』世代には脱力感を覚えさせられる光景で、格好悪いというか不気味というか...。でも慣れてくると結構ハマってしまい、不思議な面白さがあります。日本が世界に誇る技術の粋を結集した新幹線なのに...。
こうなるとノーマル編成の『あさま563号』のE2系が、妙に寂しげな表情で、嫉妬しているようにも見えてきます。

DSC04357ss.jpg2枚目の写真はE2系が入線する前に停車していた上越新幹線E4系ですが、この大胆な曲線同士が向かい合うと、これがまた圧巻なのです。
北の新幹線が乗り入れるようになってから東京駅は、さながら動く鉄道博物館の様相を呈しています。
雑誌などではヨーロッパの高速鉄道でも良く見かける光景ですが、ここまで流線型がシャープだと圧倒されます。理想的な空力フォルムと合理的な運用方法が作り出した昭和の国鉄時代にはなかった新しい鉄道の風景です。

高崎駅20120808スクリーンショット-2014-05-28-12.43.58.jpg3枚目の写真は高崎駅でのE4系『Maxたにがわ』と『Maxとき』の日常的に見られる連結風景です。東京駅では連結されたままで入線しそのまま出発してしまいますが、ここ高崎駅では、駅員さんがトランシーバーを片手に「前オーライ!前オーライ!2メーター。1メーター。やわやわ、やわやわ、やわやわ、やわやわ、〜停まれ、停まれ、停まれー!!」と、指令を運転手さんに出して連結させている光景が見れます。
線路上に係員がいないので、何となく不思議な感じがします。普通は(昔は?)作業委員が旗を振って合図をし、連結後には手で連結器を触って、正しく連結されたかを確認し、ジャンパ線を繋いだりと一連の動作があったのに、新幹線の連結のなんと淡白なことか...。「技術は進歩していますなぁ。」と感心してしまった次第です。一度見に行ってみては...。

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w01-80kei043.jpgw01-80kei.jpg半世紀も前の色褪せたプリント焼きの写真が、押し入れの奥の奥に大量に眠っていませんか?
ウチには左上の写真のような、アルバムにも入れずに束で重なったままのサービス判のプリント焼が山のようにあります。
数年前からめぼしいものを集めては少しずつ、スキャナーで高解像度で取り込み、iMacでPhotoshopを使い『明暗』や『カラーバランス』、『シャープネス』を調整してハードディスクに保存しています。

特に昭和40年代までの写真は確実に、退色が進んでいてあと数年もしたら取り返しのつかない状態です。いっしょに保管してあったネガもスキャニングし、反転してみましたがネガの方が退色が進んでいるものもあり、「これは急がねばと!」と暇を見つけてはデジタル化に勤しんでいる次第です。

上の2枚の写真は、左がサービス判のプリント焼きをスキャニングしたままのデータで、このまま保存しても良いのですが、右の写真のように撮影した時、直に見た光景と感覚を写真修正アプリケーションで再現したものも同時に保存するとよりお宝の個人的な価値が増します。
『明暗』や『彩度』を調整している時に瞬間的に、その時代の空気の中に入り込んだ心境になり、しばし思い出に耽ったりして、心が癒される事もしばしばです。

DSC06587.jpg「でもパソコンは苦手!」とおっしゃる方も結構いると思います。そんな方には『iMac』がお勧めです。使いやすさと処理能力の面で初心者にも向いています。バリバリのプロフェッショナルも『iMac』を使っている方が多いですが、初心者でもすぐに使えるようになります。
そして写真修正アプリケーションは、定番の『Adobe Photoshop(アドビ フォトショップ)』がお勧めです。簡易的な写真修正ソフトも数多くありますが、すこし覚えてくると「これじゃ物足りない!」という事になるので最初から『Photoshop』を使ったほうが良いと思います。
それから『Photoshop』でも、いわばプロのカメラマン用と、アーティスト用、写真管理に向いたものと3種類あります。ちなみに自分は、デザインの仕事にも色々使うので一番ノーマルな通常の『Photoshop(ここで言う所のアーティスト用)(正しくはPhotoshop cs6)』を使っています。

w01-mac-ps001.jpgw01-etc-scan.jpgそれから忘れてならないのは、プリント写真を入力するための周辺機器『スキャナー』です。昨今はどのメーカーも驚くほどの安価な価格設定なので上級な機種を使った方が良いと思います。というのはプリント焼(反射原稿)の入力だけなら良いのですが、なかにはネガしか残っていない!なんていうお宝もあるはずなので、ネガ(透過原稿)も取り込める機種がお勧めです。ちなみに『スキャナ』は『iMac』にコードで繋ぐだけで簡単に使えます。

『Photoshop』は基本的はそれほど難しいソフトではありませんが、解らない事があれば、ウェブで『Photoshop cs6 トリミング』の様に、ソフト名とソフトのバージョン名と疑問点のキーワードを検索窓に入力すれば、大抵の事は解決します。心配ならマニュアル本を買っておくのも肝要です。

これで昭和の貴重な個人的遺産の保存は一安心。家中の古い写真を引っ張りだして、どんどんデジタル化して思い出を鮮やかに再現して整理整頓しましょう!

『Adobe Photoshop』
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DSC06578main-ss.jpgドクターイエローを見る事が出来たら幸せになれるって?本当かなぁ?...だとすると『東海旅客鉄道(株)仕業車両所新幹線検修庫』にお勤めの皆さんは、幸せで幸せで仕事も投げ出して踊りまくっているかというと、そんなことはなさそう...。
しかも当の本人の、923形0番台T4編成のドクターイエロー君は、疲れ切ってぐったりと寝ています。

自分は毎週日曜日は大井埠頭で自転車ロードレースのトレーニングに行くのでこの八潮にある『東海旅客鉄道(株)仕業車両所新幹線検修庫』の跨線橋を通りますが、そこにはいつもドクターイエローが停まっています。橋の上には必ず何組かの親子連れがいて、新幹線の入替えやJRFの貨物列車を眺めていますが、その光景を見ていると確かにみんな幸せそうです。ドクターイエローは御利益があるかも...。

DSC06545ss.jpg昭和39年(1964年)10月1日の東海道新幹線の開通の一番列車を高台にある自宅のベランダから手を振って見送って以来、数えきれないほどドクターイエローを見てきましたが、果たして御利益があったのか?なかったのか?
開通当時によく見ていたその初代の『新幹線電気軌道総合試験車』922形0番台T1編成には、まだドクターイエローなる愛称はなく、普通に『軌道試験車』と呼んでいたと思います。このドクターイエローの愛称が定着したのは1970年代半ばだと記憶しています。
DSC06567ss.jpgDSC06548ss.jpgこの922形0番台T1編成は、昭和37年あたりのポスターや、学研の『科学』や、絵本などで多くの人が見た、当時の世界最高速度となる256km/hを記録した、俗に言う『夢の超特急』の試作車を流用したもので、当初前面窓は2本のピラーで仕切られた曲面の3枚ガラスでしたが、『軌道試験車』として改造された時には初代の新幹線営業車輌0系と同じ平面ガラスの2枚窓に変更されていました。

DSC06574ss.jpgということで923形0番台T4編成のドクターイエロー君は、『東海旅客鉄道(株)仕業車両所新幹線検修庫』に居ますが、いつもいつもここに居るとは限らないのであしからず...。でも、やっぱり旅行や出張の時に、駅で偶然に見るからラッキーだったりとか幸福感がある訳で、『仕業車両所新幹線検修庫』まで足を運んで見てしまうと偶然性がなくて、御利益は無いかもしれません。
尚、『Googleマップ』の検索窓に『東海旅客鉄道(株)仕業車両所新幹線検修庫』と入力するとドクターイエロー君が見れますが、面倒な方は下の『Googleマップ』の下の『大きな地図で見る』を開いてご覧あれ!
DSC05900ss.jpgちなみに自分は毎週、八潮の隣の大井埠頭で前身イエローで、イエローのマシンに乗ってトレーニングをしています。ドクターイエローとはなんの関係もないけど...。


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80系の2つの顔今思えばよくぞこのカラーリングを選択したなぁと、国鉄時代の車両には感心させられるものがあります。その一つがこの湘南電車。
電車といえば焦茶色が当たり前だった昭和20年代初頭に、戦後の暗い世相を払拭すべく復興の象徴としてこのカラーリングにしたそうですが、その大胆さには敬服します。
ちなみにグリーンは静岡のお茶で、オレンジ色はこれまた静岡のミカンのイメージとのことですが...、その後電化区間が拡張され電車が全国に普及していった際にそのまま使われたため、結構広範囲でこの塗装色には馴染みがあると思われます。(...しかし最近のJRや私鉄のカラーリングにはセンスを感じないものが多くてちょっとがっかりです...。)

で、この写真は父親から兄が譲り受け、またそのお下がりで自分のところに降りてきた古〜いミノルタのラピッドで撮影したもので、1967年(昭和42年)の夏に箱根の強羅温泉に行った際に、小田原駅で撮った一コマですが、80系の新旧の顔が向かい合わせになっていて、チョット微笑ましく珍しい光景です。

湘南電車は、大量輸送時代の幕開けにあった終戦直後の1948年(昭和23年)の秋に計画され、それまでに構築してきた近距離通勤電車の技術に、静粛性や乗り心地などの最新技術を満載してして作られ、1934年(昭和9年)には既に電化していて電気機関車のEF58などが客車を牽引して走っていた、東京〜沼津間に投入され1950年(昭和25年)から1976年(昭和51年)まで東京駅を急行や鈍行として発着していました。
その間80系電車は全国各地の直流電化区間に進出し、3枚扉の通勤型の70系と共に国鉄電車のスタンダードとして次世代の153系や165系が登場するまでの間、日本の長距離輸送の担い手として活躍しました。

DSC06369.jpgなぜ80系に新旧の顔があるのかというと、かの歴史的人物でD51や新幹線や、この80系の生みの親である国鉄の鉄道技術者、島秀雄さんが出来上がったばかりの80系の3枚窓のやぼったい前面デザインが気に入らず、急遽流線型の2枚窓に設計を更新して出来たとのことで、そのデザインがその後の多くの国鉄・私鉄の車両デザインに多大な影響を及ぼしたようです。
流線型といっても今の新幹線車両のような空気力学的な物ではないのですが、それでも当時は最先端のデザインで多くの人の目を引いたようです。

自分も旅行や通学で80系に乗った事があり愛着があったので、以前Nゲージの6両セットを購入しましたが、残念なことに先頭車の内の1両は3枚窓ではなく、増結用や晩年に短い編成が増えて先頭車両が不足した際に、中間車両を改造して作った103系に似た顔のクハ85でしたが、いざ走らせてみると、これはこれでなかなかの物でした。

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D51亀山機関区にてこの写真は1971年(昭和46年)に関西本線の亀山機関区で、走行中のD51のすぐ脇で撮影したものです。その昔、国鉄時代には管理事務所で許可さえ取れば、自己責任でかなり踏み込んだ所まで撮影に入れましたので、より車輌の重厚感と迫力が体感できました。

D51は戦前に、より効率の良い機関車として開発され、1,115輌の生産台数は日本の機関車の単一形式としては

web-01-kiji-sub-D51cab.jpgweb-01-kiji-sub-D51kura.jpgweb-01-kiji-sub-D51nii.jpgweb-01-kiji-sub-D51turu.jpg現在においても最多記録を誇ります。と、いうことで、ほぼ日本中で見ることが出来たD51は多くの人々に好かれて、デコイチの愛称で呼ばれ、時には左から2番目の写真(倉敷貨物ターミナル)のように、入換え作業の停止中に近所の子どもたちが、機関士さんにひと声掛けてよじ登り、ナンバープレートの魚拓ならぬロコ拓を取ることもしばしば...。今考えると1970年代は、まだまだ恐ろしく自由な時代でした。

左から1番目と3番目は岡山県と鳥取県・島根県を結ぶ伯備線の新見機関区で1971年12月に撮影したものですが、まだまだ蒸気機関車を追いかけて写真を撮る人も少なかったせいか、かなり自由に動き回って撮ることが出来ました。
1番右側の写真は1970年10月の東京駅〜横浜(高島線)のSLラストランのD51-791ですが、これもJR鶴見駅の場内に入れて撮った1枚です。この日は東京・横浜間に数万人のファンが集まり、鶴見駅だけでも数千人の人出でしたが、係員は10人程度で録音機とカメラを持って自由に撮影が出来ました。大変危険といえば危険ですが、目前で大迫力の機関車が雄叫びを上げて走っていれば自然と腰が引けて、意外に観客は冷静でした。

しかし今まで数多くのD51を、高島線(東海道本線の貨物支線)や新鶴見操車場、伯備線、山陰本線、信越線、北陸本線で見てきましたが、どれも個性があって2輌として同じものはなく、実に興味深い車輌でした。D51は戦前・戦中・戦後そして復興と激動の時代に、日本を支えたの国鉄の名車です。

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web-01-kiji-main-151kei.jpg2012年10月、約100年ぶりに開業当時の姿に復刻して話題になっている東京駅ですが、左の写真は昭和35年の東京駅ホームの写真で、東海道本線のビジネス特急「こだま」と、急行列車を牽引する蒸気機関車が並んで出発を待つ姿です。
東京駅に蒸気機関車が停まっているのに、取り巻きがいないどころか誰も見向きもしていない所が、笑ってしまうほど昭和30年代を感じさせます。

web-01-kiji-sub-tokyo-s.jpg時あたかもスピード化時代で、技術力も生産力も消費も先進国と肩を並べ始じめた日本。一時代を牽引してきた蒸気機関車と最新鋭の電車特急が並ぶ光景は、時代の変わり目を象徴するひとコマです。

この『こだま』の151系は昭和33年に誕生した特急車輌で、第二次世界大戦が終戦して間もない混乱期の、昭和24年(1945年)に鉄道省(省線)から日本国有鉄道鉄道(国鉄)になった際に、鉄道近代化の構想が練られ、当時の最新技術を結集して作り上げられた夢と希望が詰まった乗り物でした。

昭和26年には日本航空が国内線を就航したり、国の高速道路網計画が発表されるなどして、当然のことながら国鉄にも長距離輸送の高速化が求められたのです。そこで今までの機関車による客車牽引ではなく、幅の狭い国鉄の線路でも安定して走行できる動力分散型の電車の開発に全力が注がれたました。

それまでは電車は騒音と振動がひどく長距離列車には不向きでしたが、80系湘南電車や空気バネ台車の試作車の90系、小田急電鉄の初代ロマンスカーの開発で蓄積した技術を基に、昭和32年から1年間の短期間で、後の新幹線0系にも通用するほどの近代的で快適な車輌に仕上げたのです。
防音設計のモノコックボディーや最新技術の空気バネを採用したり、また快適性を向上するため、パーラーカーやビジジネススペース、列車電話、ラジオなども投入され、ビュッフェ(食堂車)には冷蔵庫、ジュースクーラー、電熱式酒燗器、エアタオル、エアコン(ユニットクーラー)など国民的あこがれの電化製品が満載されました。また、昭和33年5月には完成イラストも発表。併せて愛称も公募され、東京・大阪間を日帰り出来るという所から、行って帰って来る『こだま』に決定したのです。

web-01-kiji-sub-151kei.jpgweb-01-kiji-sub-181kei.jpg初の営業運転は開発に慎重を期した為に予定より1カ月遅れの昭和33年11月1日でしたが、その後日本の高度成長の象徴として昭和39年の東海道新幹線の開通まで力強く走り続け、改良を加えられ181系になってからも山陽本線や上越線などで在来線特急として活躍をしました。
高速鉄道網の新幹線も充実し、東京駅もリニューアルした現在では、冒頭の写真の光景は遥か彼方の昔話しですが、夢と希望が満ちあふれていた時代を思い出させます。

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昭和36年の上野駅での白鳥号高度成長期まっただ中の昭和36年(1961年)10月1日(日)の国鉄ダイヤ改正で登場した特急白鳥号。前年に登場して故障多発のボンネット型のキハ81系を改良して量産されたキハ82を使用し、非電化区間がまだまだ多かった時代に活躍したディーゼル特急の先駆けです。

この写真は、昭和38年の7月12日に家族と金沢へ墓参り兼ねた旅行に行った際に見送りの祖父が撮った上野駅での思い出の一枚です。当時としては貴重なカラー写真で、美しいカラーリングの車体ですが、運行してから2年弱なのでそろそろディーゼル特有の汚れが目立ってきているのがよくわかります。また人々の佇まいもモノトーンな感じで、どことなく昭和の風情が漂っています。

この大阪と青森、上野を直江津で分割 ・合弁して結んだ『特急白鳥』のキハ82は、その後、山陰・山陽・紀勢や九州地区でも活躍し、国鉄の特急網の担い手となりました。しかし昭和39年の東海道新幹線の開業頃には国鉄の電化区間も距離を延ばし、また続々と軽量で高性能の後継車両が登場しこともあって1980年代の前半は北海道と山陰で余生を送り、その後惜しまれつつ廃車となりました。
2013年の今では目的地までの所要時間がかかるディーゼル特急は北海道・山陰・四国・九州の一部を残すのみとなりましたが、JR九州久大本線の『ゆふいんの森』号のように車内でゆったり過ごせる工夫が多く取り入れられたりと、各地に特色をいかした列車が多数あり旅の楽しみのひとつになっています。

香住駅キハ82-01香住駅キハ82-02最後にキハ82に乗ったのは、廃止される3年前の昭和58年(1983年)6月に山陰本線の余部鉄橋を見に京都駅から乗った特急『あさしお』でした。この頃はまだ高山本線や紀勢本線などでも活躍をしていましたが、『白鳥号』に組み込まれていた食堂車のキシ80は廃止車になり、グリーン車のキロ80も希少な車輌でした。またこの『あさしお』も老朽化していて、世代交代を予感させます。

デビューした当時は、運転席のパノラマウインドーといい、ヘッドライトまわりといい、スピード感と未来感覚に溢れたデザインでしたが、全国で電化が進み、新幹線が整備され、第一線を外れてからは、先頭車両の運転席側に中間車両を増結したり、先頭車が重連で増結されたりと、マニアがゾクゾクしそうな運用が数多くありました。キハ181系の登場により、気動車の大出力化が計られ近年に至りますが、日本中を高速で結んだ、高度成長の担い手のキハ82は、誰もが認める国鉄時代の名車です。

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