2013年も恒例の『ツアー・オブ・ジャパン』の時期が近づいて来ました。5月19 日(日) 堺ステージから26 日(日)の東京ステージ、全6ステージで開催されます。
自分は東京ステージの大井埠頭周回コースに観戦に行く予定です。
去年は我が母校である日本大学出身で愛三工業の西谷泰治選手が、ゴールスプリントを制してステージ優勝しましたが、今年はどんな展開になるか楽しみです。ちなみに2007年には現在『ユーロップカー』で走っている新城幸也選手がやはりゴールスプリントで勝っていて、この年は大阪ステージで、当時の『NIPPO-梅丹本舗』チームメイトだった現在『サクソ・ティンコフ』所属の宮澤崇史選手もスプリントを制しています。
そんな今年も楽しみな『ツアー・オブ・ジャパン』ですが、その前身は1982年に始まった『東京国際ロードレース』でした。上の写真は当時のレースの模様で、大井埠頭の北部陸橋に向かうストレートを、選手達が終盤の攻防に向けペースを上げているところです。例年レース展開は、ほとんど同じでこの時も5〜6人のエスケープが決まって、終盤に大集団が追いかける展開でした。
しかし、この頃はまだヘルメットの着用義務もなくほぼ全員、カスクという合成皮革などで作られた防具を着用しており、一見頭部が相撲の行司さんの様にも見えます...。そして一番手前の白いヘルメットを冠った選手は、プロの競輪から抜擢された選手と思われます。
そしてマシンもまだ100%鉄(クロームモリブデン)製で、ビンディングペダルは普及し始めていましたが、ブレーキワイヤーはハンドル上でアーチを描いているし、総重量は9キロ台が普通でした。しかしこの20数年で自転車は劇的に進化し、軽くて乗りやすくなりました。
話は戻りますが、現在の『ツアー・オブ・ジャパン』のコースは上の写真の位置よりもっと南側の交差点をUターンするコース(写真左)を使っていますが、『東京国際ロードレース』の頃は北部陸橋を上り切ったところの交差点でUターンしていたのと、南の端も南部陸橋を登って降りた先でUターンしていたので、多少の起伏があり特に終盤の北部陸橋では多くの選手が振るい落とされ、レース展開にも今より変化がありました。
『ツアー・オブ・ジャパン』も当初は城南大橋を渡って左折した先でUターンをしていたので多少の起伏はあったのですが、ここ数年のコースは南部陸橋の測道あたりで、ほんの少々起伏があるくらいで、変化に乏しく高速ステージとなっていて、益々逃げが決まらないレースになっています。
尚、左の写真は2012年の『ツアー・オブ・ジャパン』のレース中盤に北側のUターンの立ち上がりで、誰か受け取ってくれないかなぁ...と、補給食のバナナを差し出してみた一コマですが、全員無視!それは高速レースだったため受け取れなかったという訳ではなかったようです...。やはり怪しい知らないおじさんから物はもらわないようです......。