爽快!ロードレーサー

30年走り続けているホームコース、大井埠頭。

w05-00038oii.jpg1983の春から大井埠頭でロードの練習を重ねて、今年で30年がたちました。上の写真は1987年10月に大井埠頭を走っていたら、偶然『千葉テレビ』の取材班に声を掛けられ、『最近の自転車ブーム』の取材ということで、缶コーヒー1本の出演料で取材に応じ、サービス精神満々で疾走しているところです。その日は平日で誰一人走っていませんでしたので、逃してなるものかとロケバスで必死に追いかけてきてのことでした。当時はヘルメットも競輪選手しか着用しておらず、ご覧の通り頭部が完全に無防備!マシンもクロモリの『チネリ・スーパーコルサ』でスプロケットはインデックス式の6段、サングラスは世界的に流行り始めた頃で、フランスのブルターニュの穴熊と称された英雄ベルナール・イノーが着用していた『ルディープロジェクト』、ウエアは当時大人気だったアメリカのグレッグ・レモンが所属していた『Zチーム』と、かなりナウい(?)出で立ちです......。ということで、今となっては貴重な一コマです。

w05-s-toj-003.jpg多くのライダーが1982年から1995年まで開催されていた現在の『ツアー オブ ジャパン』の前身、『東京国際サイクルロードレース』の開催がきっかけで日本のロードレースの聖地と言われるこの『大井埠頭』を、走るようになったようです。
自分もそれまでは、あのベルギーの自転車界の神様的存在のエディー・メルクスが東京オリンピックで走った皇居の周回コースを使っていましたが、貸し自転車に乗った子供達も多く、より安全な場所で走ろうということで、勝手ながら『大井埠頭』をホームコースに選択しました。
当時は後のバルセロナオリンピック代表にもなった『パルコチーム』の鈴木裕美子選手もチームメイトと疾走していたり、『サーティーワンチーム』などの実業団も、よく練習をしていました。

w05-050522ooi-finish.jpgその後も『東京国際サイクルロードレース』は大阪の『大阪国際サイクルロードレース』とともに5月後半の2週連続の日曜日に1995年まで開催され、翌年の1996年からは、大阪と東京との間にいくつかのステージを設け『ツアー オブ ジャパン(T.O.J)』が開催されるようになりました。
東京ステージでは、2010年までは当日の午前中に『市民ロードレース』が開催されていたので、自分も出走していました。ホームコースのレースだったので気合いを入れて臨んでいました。左上の写真はゴールスプリントで2位に入った...のではなく、ビリから4番目の人に追いつけずにビリから3番目でゴールしたところです。

w05minatogaoka-pa05431.jpg昨今は自転車の交通ルールも強化されていますが、反則のないように走れば、まだまだ大井埠頭は東京都内では練習には絶好の場所です。公園もコンビニ(3軒)もあるし最高です。
自分は大雨の日以外は、ほぼ毎日曜日50〜100キロの行程を周回しています。
1980年代にここを走っていたライダー達は現在ではほぼ見なくなりましたが、その当時の皆さん!若かりし頃を思い出して、また走ってみてはいかがでしょうか。出っ張ったお腹をへこましに来ませんか?
最近の若いライダーはマナーもいいし、ライダーとしての暗黙のルールも心得ているし、大学生のチームも含め集団走行のレベルも高くなって来ているので、人数は増えましたが、反って昔よりも安全に走れますし、当初の北部陸橋と南部陸橋をまわる9キロほどの周回コースとはちがい、城南島経由の11キロのコースなどもあるので変化に富んでいて走っていて楽しいと思います。仲間や友達も沢山できるし、仲間がいれば色々な練習方法でたのしめます。
そのうち、多くの大井埠頭のライダー仲間の紹介や、多彩な練習方法についても書いてゆくつもりです。お楽しみに!