この写真は、久大本線由布院駅から北東方向へ約700メートル、湯の坪街道にある湯布院町中央児童公園内に展示してあるD51-1032の荒廃した姿を撮った1枚です。
奥にそびえ立つのは由布岳で、まわりは子供たちが運動も出来る広場なっており、滑り台などの遊具も備わっています。しかしこの日は平日ということもあってか、湯の坪街道は賑わっていても、公園には人影は全くなく、がらんとした広場の片隅に展示してあるD51-1032の、その朽ち果てた姿をより一層、寂しげなものにしていました。
このD51-1032は、物資と技術力の乏しかった第二次世界大戦の終盤の1944年(昭和19年)に広島県の三菱重工三原製作所で製造され、門司機関区に所属し、戦後1956年(昭和31年)南延岡機関区に転属した後、1974年(昭和49年)に廃車になりこの地に静態保存されたとのことです。
塗装は何度か塗り直した形跡はあるものの、退色が著しく、錆びや劣化が進み、随所に苔が蒸している状態でした。しかし子供の頃に現役の蒸気機関車を数々見てきた自分には、かえって親しみなある風情でした。現代のイベント列車に使われている蒸気機関車は、ピカピカに手入れが行き届いていて違和感こそあれ力感がなく感じるので...、それに比べれば、なんと力強いことか...。
昭和30年代から40年代の高度成長期に現役で働いていたD51などの蒸気機関車もさすがに苔は蒸していなませんでしたが、劣化や退色・錆は激しく、特に40年代後半の蒸気機関車の末期には、近い将来の廃車が前提で運用されていたので、見た目はこの1032号機と変わらない機関車ばかりでした。
むしろその汚れきった車体に、機関車としての力強さや存在感を感じて見ていたものです。
戦中の苦難の道を乗り越え、戦後の復興を支え、現代の豊かで平和な日本の礎となって働き続けたD51に感謝の気持ちがこみ上げ、湯布院観光も忘れ、しばしこのD51−1032号機に見入ってしまいました。
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