kuha4812005DSC02359sssss.jpgこの写真は、2006年10月21日に金沢駅で撮影した1枚で、中間車輌でグリーン車だった『サロ481』をパノラマ先頭車輌に改造し、1989年3月11日に登場した北陸本線特急「スーパー雷鳥」の運転開始とともにデビューした異色の存在、クロ481パノラマグリーン車です。

DSC02360sssss.jpgDSC02350ss.jpg

80年代の初頭に登場した国鉄381系の改造パノラマ先頭車同様、運転席を客室より少し下げ、客席から仕切りのガラス越しに運転士の後ろ姿とともに進行方向の風景がパノラミックに楽しめる構造でした。
小田急や名鉄の元祖パノラマカーのように運転席を2階に設けるような本格的パノラマ先頭車に改造をした165系やキハ183系とは違い、簡易的なパノラマカーですが、今までの485系からは想像もできないデザインに仕上がっていてビックリしたものです。国鉄がJRになり経営の健全化を図っている時期で、利用客獲得のための最大限の努力なのだと感じました。

DSC02347ss.jpgDSC02346sssss.jpgDSC02363ss.jpg

20年以上に渡り北陸路を駆け抜けたクロ481は、2011年3月12日のダイヤ改正で全車廃車になったようです。そして今では北陸新幹線も金沢まで開通しJRの利用客も増加し、富山や金沢は注目の観光地になっていますが、JR北陸本線から第三セクターに経営が移行する、金沢から直江津までの『IRいしかわ鉄道』、『あいの風とやま鉄道』、『えちごトキめき鉄道(日本海ひすいライン)』の今後の成り行きが気がかりです。
もっぱら通勤路線になるようなので、金沢から新潟に直行するには大変不便になるようです。

クロ481がセットになった
Nゲージ458系のお取り寄せは
【Amazon】 【楽天市場】

クロ481のHOゲージや485系のDVD、書籍の
お取り寄せは【ヤフーショッピング】

w01-419系-715系03ss.jpg上の写真は1985年(昭和60年)10月15日・鳥栖駅での一枚です。なにやら鉄道模型マニアがノーマルな世界には飽き足らず、妄想をめぐらせて作った『なんちゃって車輌!』のような光景です。
この写真も今となっては、かなり懐かしい光景ですが、1987年(昭和62年)4月1日に『国鉄』が分割民営化して『JR』に変貌する直前にはよく見られた合理化への象徴的な一コマです。

DSC02378ss.jpgDSC07735ss.jpgDSC07751ss.jpg当時は今のJRに見られるような資産の整理や経営の多角化などの抜本的改革では無く、手持ちの資産を如何に節約し合理的に使うかが改革の中心で、人材も資産もズタズタになっていたことが、この一枚からも伝わってきます。
これはこれで、鉄道ファンにとってはたまらない光景ですが、一方で国鉄の威信を掛けて1967年(昭和42年)に直流・交流60Hzの581系をデビューさせ、翌1968年(昭和43年)には50/60Hz対応となる583系が登場。世界初の動力分散型で、国鉄の持つ技術力を満載させた昼夜兼用の電車寝台特急車輌が、ここまで改造されて臨時急行や通勤電車になるとは...なんだかとても悲しい思いがしました。

DSC06664ss.jpg元々は1964年(昭和39年)の東海道新幹線の通業により、その新大阪以西の山陽・九州方面の特急列車の強化と効率化を具現化し、後に東北地方にも進出した世界でも珍しい昼夜兼用特急電車なのですが、その昼夜の切り替えの煩雑さや、そのための人員を多く要したことで、必ずしも高効率とはいかず、また昼間のボックスシートも不評なことに加え、昼夜に渡って長時間酷使されたために、車輌全体の老朽化も他車に比べ早く、挙げ句の果てには1975年(昭和50年)3月10日の山陽新幹線の全線開通と1982年(昭和57年)に東北新幹線の大宮駅 - 盛岡駅間の開業で、完全に寝台特急の花道から姿を消してしまったのです。

また1982年頃には多くの路線では、中距離輸送の電気機関車が牽引する客車を、短編成の電車に置き換える動きがあり、余剰車輌となったこの583系を見事な(強引な)改造で交流区間に導入したのです。
ちなみに、交直両用を交流専用にした九州地区の715系(写真一番上・グリーンの帯)と、交流区間と直流区間のある北陸地区用に交直切替機能を残した419系(ブルー帯)の2系列に改造され、先頭車輌の不足から中間車のサハネに運転台を取付けた100番台や、3両編成用に中間電動車に運転台を取付けた1000番台など、幸か不幸かファンにはたまらない改造が施されています。

今後新幹線網やリニアが整備されるに連れ、このような改造が増えるのか、または改造には適していなステンレスやアルミ合金製の車輌が増えたので今後はあまり見られなくなるのか?...気になるところではあります。
またNゲージやHOゲージで既成の模型を改造して作ってみるのも面白いかもしれませんし、現実には有り得ない妄想改造車輌を作るのも醍醐味かも...。

DSC09543ss.jpg今や空前の鉄道ブームで、多くの書籍、グッズ、DVDなどが販売されていて、色々な楽しみ方が出来ますが、その反面、何を購入したら良いか迷ってしまうのも事実。
特にDVDはどれも似たような物が多く、その大多数が、近年の映像ばかりのようです。

昭和の国鉄時代のファンにとっては、例えばステンレスやアルミ製の気動車が山深い単線区間を疾走している光景には少しだけ違和感があるというもの...。そんな中、最近発売された『映像で綴る 懐かしの国鉄時代 昭和の鉄道』(DVD全12枚+特別鑑賞冊子付き)は、なかなかの内容のようです。

DSC09540ss.jpgDSC09546ss.jpgDSC09547ss.jpgss140627160346.jpg

先日、我が妻がその販売元の『ユーキャン』が運営する『ココチモ』の展示を見に行って来たのですが、かなり豪華なDVDのようで、国鉄よりも古い『鉄道省』時代の車輌の走行シーンや駅の光景など、多数の貴重な動画が、年代別に収録されていて鉄道コレクションには絶対欠かせない充実の内容です。
しかも『特別鑑賞冊子』がついていて、鮮明な写真や、蒸気機関車の図面などは夢のような完全保存版のアイテムです。

ss140627160347.jpgDSC09554ss.jpgDSC09557ss.jpgDSC09561ss.jpg

最近では名古屋市にある『リニア・鉄道館』や、さいたま市の『鉄道博物館』での昭和の車輌の展示や、BSフジの番組『鉄道伝説』などが、ドキュメントタッチで昭和の鉄道を取り上げていたりして、若いファンなどにも、国鉄時代の鉄道が人気になって来ているので、こんな豪華なセットが実現したのだと思いますが、昭和の鉄道ファンには実にたまらないグッズです。

ご購入はコチラ!昭和の鉄道 DVD全12枚(特別鑑賞冊子付き)

リンクシェア レビュー・アフィリエイト

w01-80kei043.jpgw01-80kei.jpg半世紀も前の色褪せたプリント焼きの写真が、押し入れの奥の奥に大量に眠っていませんか?
ウチには左上の写真のような、アルバムにも入れずに束で重なったままのサービス判のプリント焼が山のようにあります。
数年前からめぼしいものを集めては少しずつ、スキャナーで高解像度で取り込み、iMacでPhotoshopを使い『明暗』や『カラーバランス』、『シャープネス』を調整してハードディスクに保存しています。

特に昭和40年代までの写真は確実に、退色が進んでいてあと数年もしたら取り返しのつかない状態です。いっしょに保管してあったネガもスキャニングし、反転してみましたがネガの方が退色が進んでいるものもあり、「これは急がねばと!」と暇を見つけてはデジタル化に勤しんでいる次第です。

上の2枚の写真は、左がサービス判のプリント焼きをスキャニングしたままのデータで、このまま保存しても良いのですが、右の写真のように撮影した時、直に見た光景と感覚を写真修正アプリケーションで再現したものも同時に保存するとよりお宝の個人的な価値が増します。
『明暗』や『彩度』を調整している時に瞬間的に、その時代の空気の中に入り込んだ心境になり、しばし思い出に耽ったりして、心が癒される事もしばしばです。

DSC06587.jpg「でもパソコンは苦手!」とおっしゃる方も結構いると思います。そんな方には『iMac』がお勧めです。使いやすさと処理能力の面で初心者にも向いています。バリバリのプロフェッショナルも『iMac』を使っている方が多いですが、初心者でもすぐに使えるようになります。
そして写真修正アプリケーションは、定番の『Adobe Photoshop(アドビ フォトショップ)』がお勧めです。簡易的な写真修正ソフトも数多くありますが、すこし覚えてくると「これじゃ物足りない!」という事になるので最初から『Photoshop』を使ったほうが良いと思います。
それから『Photoshop』でも、いわばプロのカメラマン用と、アーティスト用、写真管理に向いたものと3種類あります。ちなみに自分は、デザインの仕事にも色々使うので一番ノーマルな通常の『Photoshop(ここで言う所のアーティスト用)(正しくはPhotoshop cs6)』を使っています。

w01-mac-ps001.jpgw01-etc-scan.jpgそれから忘れてならないのは、プリント写真を入力するための周辺機器『スキャナー』です。昨今はどのメーカーも驚くほどの安価な価格設定なので上級な機種を使った方が良いと思います。というのはプリント焼(反射原稿)の入力だけなら良いのですが、なかにはネガしか残っていない!なんていうお宝もあるはずなので、ネガ(透過原稿)も取り込める機種がお勧めです。ちなみに『スキャナ』は『iMac』にコードで繋ぐだけで簡単に使えます。

『Photoshop』は基本的はそれほど難しいソフトではありませんが、解らない事があれば、ウェブで『Photoshop cs6 トリミング』の様に、ソフト名とソフトのバージョン名と疑問点のキーワードを検索窓に入力すれば、大抵の事は解決します。心配ならマニュアル本を買っておくのも肝要です。

これで昭和の貴重な個人的遺産の保存は一安心。家中の古い写真を引っ張りだして、どんどんデジタル化して思い出を鮮やかに再現して整理整頓しましょう!

『Adobe Photoshop』
『Adobe Photoshop Lightroom 5』
『Adobe Photoshop Elements 11』の
お求めは【アドビストア ジャパン】

80系の2つの顔今思えばよくぞこのカラーリングを選択したなぁと、国鉄時代の車両には感心させられるものがあります。その一つがこの湘南電車。
電車といえば焦茶色が当たり前だった昭和20年代初頭に、戦後の暗い世相を払拭すべく復興の象徴としてこのカラーリングにしたそうですが、その大胆さには敬服します。
ちなみにグリーンは静岡のお茶で、オレンジ色はこれまた静岡のミカンのイメージとのことですが...、その後電化区間が拡張され電車が全国に普及していった際にそのまま使われたため、結構広範囲でこの塗装色には馴染みがあると思われます。(...しかし最近のJRや私鉄のカラーリングにはセンスを感じないものが多くてちょっとがっかりです...。)

で、この写真は父親から兄が譲り受け、またそのお下がりで自分のところに降りてきた古〜いミノルタのラピッドで撮影したもので、1967年(昭和42年)の夏に箱根の強羅温泉に行った際に、小田原駅で撮った一コマですが、80系の新旧の顔が向かい合わせになっていて、チョット微笑ましく珍しい光景です。

湘南電車は、大量輸送時代の幕開けにあった終戦直後の1948年(昭和23年)の秋に計画され、それまでに構築してきた近距離通勤電車の技術に、静粛性や乗り心地などの最新技術を満載してして作られ、1934年(昭和9年)には既に電化していて電気機関車のEF58などが客車を牽引して走っていた、東京〜沼津間に投入され1950年(昭和25年)から1976年(昭和51年)まで東京駅を急行や鈍行として発着していました。
その間80系電車は全国各地の直流電化区間に進出し、3枚扉の通勤型の70系と共に国鉄電車のスタンダードとして次世代の153系や165系が登場するまでの間、日本の長距離輸送の担い手として活躍しました。

DSC06369.jpgなぜ80系に新旧の顔があるのかというと、かの歴史的人物でD51や新幹線や、この80系の生みの親である国鉄の鉄道技術者、島秀雄さんが出来上がったばかりの80系の3枚窓のやぼったい前面デザインが気に入らず、急遽流線型の2枚窓に設計を更新して出来たとのことで、そのデザインがその後の多くの国鉄・私鉄の車両デザインに多大な影響を及ぼしたようです。
流線型といっても今の新幹線車両のような空気力学的な物ではないのですが、それでも当時は最先端のデザインで多くの人の目を引いたようです。

自分も旅行や通学で80系に乗った事があり愛着があったので、以前Nゲージの6両セットを購入しましたが、残念なことに先頭車の内の1両は3枚窓ではなく、増結用や晩年に短い編成が増えて先頭車両が不足した際に、中間車両を改造して作った103系に似た顔のクハ85でしたが、いざ走らせてみると、これはこれでなかなかの物でした。

国鉄80系の鉄道模型は
【楽天市場】で購入できます

70kei043doko.jpg東海道本線の神奈川県か静岡県のどこかだと思うのだけど......。

時は昭和40年代。場所は直流電化区間で私鉄と国鉄が同居する駅。
その当時乗った区間は、東海道本線、上越線、信越本線、北陸本線くらいなので、その中で推測すと、東海道本線が最有力候補。

もし仮に東海道本線だとすると、海に面した地域では全般的に下り線の進行方向右側に、ほぼ山や丘があるので、この写真は下り列車の車窓から島式ホームの上り線の70系近郊型中距離電車と、その山側にホームを有する私鉄。と、いうことになりそうです。

そして写真の右下は、たぶんホームの端のスロープなので、自分の乗っている列車は駅に入線したところか、あるいは通過するところかです。
人の気配があまりしないので、どうやら日曜日か、あるいは平日でも通勤時間帯ではなさそうです。70系もドアが閉まっているので、発車したところか、回送が停車しているかです。
とにかく今となっては、あまりに古すぎてGoogleマップで探してみても同じような立地条件が見つかりません。もし東海道本線以外の路線だとすると......。ますます謎は深まるばかりです。

しかしいつどこで撮ったかは、わからないけれど、自分にとって何かとっても貴重な一コマです。

古いアルバムを開いてみると、こんな写真が時々あります。古い記憶を辿ったり、いろいろな想像や妄想を広げるのも楽しいものです。
中には、よく撮っておいたなぁ!なんて写真もあるので、追って紹介して行きます。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

上の記述の疑問の答えを、駅弁の掛け紙を収集するのがご趣味という
静岡在住の方が、ご丁寧に教えてくださいました。

場所は、中央本線の大月駅とのことです。......そういえば中学の修学旅行で長野県を巡ったことがあり、たぶんその時の一コマだと思われます。修学旅行ですので、当然車内は『動物園』+『遊園地』状態で、シャッターを切った事さえ記憶にありませんでした。

画像の中のバックの「桂川館」は数年ほど前まで大月駅で駅弁を販売していたお店だそうですが、
経営者の方がご高齢のために廃業になったそうです。また後ろの電車は『富士急行』とのことで、
大変勉強になりました。ありがとうございました!

懐かしい70系のNゲージ車両は【Amazon】で購入できます。

懐かしい70系のNゲージ車両は
【楽天市場】で購入できます。

web-01-kiji-main-151kei.jpg2012年10月、約100年ぶりに開業当時の姿に復刻して話題になっている東京駅ですが、左の写真は昭和35年の東京駅ホームの写真で、東海道本線のビジネス特急「こだま」と、急行列車を牽引する蒸気機関車が並んで出発を待つ姿です。
東京駅に蒸気機関車が停まっているのに、取り巻きがいないどころか誰も見向きもしていない所が、笑ってしまうほど昭和30年代を感じさせます。

web-01-kiji-sub-tokyo-s.jpg時あたかもスピード化時代で、技術力も生産力も消費も先進国と肩を並べ始じめた日本。一時代を牽引してきた蒸気機関車と最新鋭の電車特急が並ぶ光景は、時代の変わり目を象徴するひとコマです。

この『こだま』の151系は昭和33年に誕生した特急車輌で、第二次世界大戦が終戦して間もない混乱期の、昭和24年(1945年)に鉄道省(省線)から日本国有鉄道鉄道(国鉄)になった際に、鉄道近代化の構想が練られ、当時の最新技術を結集して作り上げられた夢と希望が詰まった乗り物でした。

昭和26年には日本航空が国内線を就航したり、国の高速道路網計画が発表されるなどして、当然のことながら国鉄にも長距離輸送の高速化が求められたのです。そこで今までの機関車による客車牽引ではなく、幅の狭い国鉄の線路でも安定して走行できる動力分散型の電車の開発に全力が注がれたました。

それまでは電車は騒音と振動がひどく長距離列車には不向きでしたが、80系湘南電車や空気バネ台車の試作車の90系、小田急電鉄の初代ロマンスカーの開発で蓄積した技術を基に、昭和32年から1年間の短期間で、後の新幹線0系にも通用するほどの近代的で快適な車輌に仕上げたのです。
防音設計のモノコックボディーや最新技術の空気バネを採用したり、また快適性を向上するため、パーラーカーやビジジネススペース、列車電話、ラジオなども投入され、ビュッフェ(食堂車)には冷蔵庫、ジュースクーラー、電熱式酒燗器、エアタオル、エアコン(ユニットクーラー)など国民的あこがれの電化製品が満載されました。また、昭和33年5月には完成イラストも発表。併せて愛称も公募され、東京・大阪間を日帰り出来るという所から、行って帰って来る『こだま』に決定したのです。

web-01-kiji-sub-151kei.jpgweb-01-kiji-sub-181kei.jpg初の営業運転は開発に慎重を期した為に予定より1カ月遅れの昭和33年11月1日でしたが、その後日本の高度成長の象徴として昭和39年の東海道新幹線の開通まで力強く走り続け、改良を加えられ181系になってからも山陽本線や上越線などで在来線特急として活躍をしました。
高速鉄道網の新幹線も充実し、東京駅もリニューアルした現在では、冒頭の写真の光景は遥か彼方の昔話しですが、夢と希望が満ちあふれていた時代を思い出させます。

ビジネス特急『こだま』に関する書籍は
【楽天市場】で購入出来ます

ココチモ