w01-c11-bolt02sssss.jpgこの写真は1971年(昭和46年)12月26日に、兵庫県内の山陽本線と山陰本線を結ぶ播但線で撮影した1枚です。左は寺前駅で給水を受けている『C11-177』で、右上はその部品のボルト、右下は始発駅の姫路駅で、出発前に客車との連結部分のデッキから撮影したものです。

ボイラーの左右とキャビン後部の石炭庫の左右にある水タンクに給水をしている光景を撮影していたのですが、動力源の水を満タンにし過ぎて吸水口から勢い良く溢れ出してしまったようです。
その水の音と吹き出す蒸気の熱気と汚れきった車体の迫力が相まって、まるで巨大な生物の様でした。

w03_C11tanku_sssss.jpgw03_C11teramae002chage_ssss.jpg姫路駅から乗った列車でしたが、終着の和田山駅からは6駅も手前の寺前駅で、客車から機関車を切放して、給水に向かうなんて、今思えば何処までのんびりしていた時代なんだろうかと、つくづく感心してしまいました。
確かこの寺前駅で20分以上停車していたと思いまが、鉄道好きには、たまらないひと時でした。
現在のデジタルカメラだったら100枚以上は撮影していた事でしょうが...。当時はモノクロフィルムであっても決して安いものではなかったので、今になってみればこんなに貴重なシーンなのに数枚しかシャッターを切りませんでした...。つくづく残念!

w03_C11man_sssss.jpgw03_C11_003sssss.jpgやがて補給を終えて客車の先頭に戻ってきたC11-177の表情には力が漲っていて、和田山駅まで、もう一仕事!っていう、高度成長期を牽引してきた老兵の気概を感じずにはいられませんでした。

ところで冒頭の写真のボルトですが、本当にこのC11-177のものです。なぜ手元に有るかと言うと、この時、終着の和田山駅で撮影していると、フロントのデッキに10本ほどの錆びたボルトが放置してあるのを発見したので、まだキャビンで作業をしていた機関士さんに、ネジが外れていますよと伝えたところ、メンテナンスで交換したボルトがお置き去りになっているとの事で、機関士さんが安全のために一応撤去したのですが、その内の1本を記念にくださったものです。予想もしていなかった出来事にとても感動し、歓喜していたので、そのフロントデッキの詳細な証拠写真を撮るのを忘れてしまいました...。またまた残念!
なので何処のどの部分に使われていたボルトなのかは不明です。

w03_C11_cabin_sssss.jpgw03_C11teramae01ssss.jpg1960年(昭和35年)よりDF50形やDD54形でディーゼル機関車化が図られ始めたこの播但線は、1972年(昭和47年)に無煙化されたので、これらの写真はその直前の貴重な一コマとなりました。

DSC01560ss.jpgこの写真は、久大本線由布院駅から北東方向へ約700メートル、湯の坪街道にある湯布院町中央児童公園内に展示してあるD51-1032の荒廃した姿を撮った1枚です。
奥にそびえ立つのは由布岳で、まわりは子供たちが運動も出来る広場なっており、滑り台などの遊具も備わっています。しかしこの日は平日ということもあってか、湯の坪街道は賑わっていても、公園には人影は全くなく、がらんとした広場の片隅に展示してあるD51-1032の、その朽ち果てた姿をより一層、寂しげなものにしていました。

このD51-1032は、物資と技術力の乏しかった第二次世界大戦の終盤の1944年(昭和19年)に広島県の三菱重工三原製作所で製造され、門司機関区に所属し、戦後1956年(昭和31年)南延岡機関区に転属した後、1974年(昭和49年)に廃車になりこの地に静態保存されたとのことです。

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塗装は何度か塗り直した形跡はあるものの、退色が著しく、錆びや劣化が進み、随所に苔が蒸している状態でした。しかし子供の頃に現役の蒸気機関車を数々見てきた自分には、かえって親しみなある風情でした。現代のイベント列車に使われている蒸気機関車は、ピカピカに手入れが行き届いていて違和感こそあれ力感がなく感じるので...、それに比べれば、なんと力強いことか...。

昭和30年代から40年代の高度成長期に現役で働いていたD51などの蒸気機関車もさすがに苔は蒸していなませんでしたが、劣化や退色・錆は激しく、特に40年代後半の蒸気機関車の末期には、近い将来の廃車が前提で運用されていたので、見た目はこの1032号機と変わらない機関車ばかりでした。
むしろその汚れきった車体に、機関車としての力強さや存在感を感じて見ていたものです。

DSC01513ss.jpgDSC01529ss.jpgDSC01535ss.jpgDSC01540ss.jpgDSC01545ss.jpgDSC01553ss.jpg

戦中の苦難の道を乗り越え、戦後の復興を支え、現代の豊かで平和な日本の礎となって働き続けたD51に感謝の気持ちがこみ上げ、湯布院観光も忘れ、しばしこのD51−1032号機に見入ってしまいました。

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DSC09543ss.jpg今や空前の鉄道ブームで、多くの書籍、グッズ、DVDなどが販売されていて、色々な楽しみ方が出来ますが、その反面、何を購入したら良いか迷ってしまうのも事実。
特にDVDはどれも似たような物が多く、その大多数が、近年の映像ばかりのようです。

昭和の国鉄時代のファンにとっては、例えばステンレスやアルミ製の気動車が山深い単線区間を疾走している光景には少しだけ違和感があるというもの...。そんな中、最近発売された『映像で綴る 懐かしの国鉄時代 昭和の鉄道』(DVD全12枚+特別鑑賞冊子付き)は、なかなかの内容のようです。

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先日、我が妻がその販売元の『ユーキャン』が運営する『ココチモ』の展示を見に行って来たのですが、かなり豪華なDVDのようで、国鉄よりも古い『鉄道省』時代の車輌の走行シーンや駅の光景など、多数の貴重な動画が、年代別に収録されていて鉄道コレクションには絶対欠かせない充実の内容です。
しかも『特別鑑賞冊子』がついていて、鮮明な写真や、蒸気機関車の図面などは夢のような完全保存版のアイテムです。

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最近では名古屋市にある『リニア・鉄道館』や、さいたま市の『鉄道博物館』での昭和の車輌の展示や、BSフジの番組『鉄道伝説』などが、ドキュメントタッチで昭和の鉄道を取り上げていたりして、若いファンなどにも、国鉄時代の鉄道が人気になって来ているので、こんな豪華なセットが実現したのだと思いますが、昭和の鉄道ファンには実にたまらないグッズです。

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D51亀山機関区にてこの写真は1971年(昭和46年)に関西本線の亀山機関区で、走行中のD51のすぐ脇で撮影したものです。その昔、国鉄時代には管理事務所で許可さえ取れば、自己責任でかなり踏み込んだ所まで撮影に入れましたので、より車輌の重厚感と迫力が体感できました。

D51は戦前に、より効率の良い機関車として開発され、1,115輌の生産台数は日本の機関車の単一形式としては

web-01-kiji-sub-D51cab.jpgweb-01-kiji-sub-D51kura.jpgweb-01-kiji-sub-D51nii.jpgweb-01-kiji-sub-D51turu.jpg現在においても最多記録を誇ります。と、いうことで、ほぼ日本中で見ることが出来たD51は多くの人々に好かれて、デコイチの愛称で呼ばれ、時には左から2番目の写真(倉敷貨物ターミナル)のように、入換え作業の停止中に近所の子どもたちが、機関士さんにひと声掛けてよじ登り、ナンバープレートの魚拓ならぬロコ拓を取ることもしばしば...。今考えると1970年代は、まだまだ恐ろしく自由な時代でした。

左から1番目と3番目は岡山県と鳥取県・島根県を結ぶ伯備線の新見機関区で1971年12月に撮影したものですが、まだまだ蒸気機関車を追いかけて写真を撮る人も少なかったせいか、かなり自由に動き回って撮ることが出来ました。
1番右側の写真は1970年10月の東京駅〜横浜(高島線)のSLラストランのD51-791ですが、これもJR鶴見駅の場内に入れて撮った1枚です。この日は東京・横浜間に数万人のファンが集まり、鶴見駅だけでも数千人の人出でしたが、係員は10人程度で録音機とカメラを持って自由に撮影が出来ました。大変危険といえば危険ですが、目前で大迫力の機関車が雄叫びを上げて走っていれば自然と腰が引けて、意外に観客は冷静でした。

しかし今まで数多くのD51を、高島線(東海道本線の貨物支線)や新鶴見操車場、伯備線、山陰本線、信越線、北陸本線で見てきましたが、どれも個性があって2輌として同じものはなく、実に興味深い車輌でした。D51は戦前・戦中・戦後そして復興と激動の時代に、日本を支えたの国鉄の名車です。

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web-01-kiji-main-151kei.jpg2012年10月、約100年ぶりに開業当時の姿に復刻して話題になっている東京駅ですが、左の写真は昭和35年の東京駅ホームの写真で、東海道本線のビジネス特急「こだま」と、急行列車を牽引する蒸気機関車が並んで出発を待つ姿です。
東京駅に蒸気機関車が停まっているのに、取り巻きがいないどころか誰も見向きもしていない所が、笑ってしまうほど昭和30年代を感じさせます。

web-01-kiji-sub-tokyo-s.jpg時あたかもスピード化時代で、技術力も生産力も消費も先進国と肩を並べ始じめた日本。一時代を牽引してきた蒸気機関車と最新鋭の電車特急が並ぶ光景は、時代の変わり目を象徴するひとコマです。

この『こだま』の151系は昭和33年に誕生した特急車輌で、第二次世界大戦が終戦して間もない混乱期の、昭和24年(1945年)に鉄道省(省線)から日本国有鉄道鉄道(国鉄)になった際に、鉄道近代化の構想が練られ、当時の最新技術を結集して作り上げられた夢と希望が詰まった乗り物でした。

昭和26年には日本航空が国内線を就航したり、国の高速道路網計画が発表されるなどして、当然のことながら国鉄にも長距離輸送の高速化が求められたのです。そこで今までの機関車による客車牽引ではなく、幅の狭い国鉄の線路でも安定して走行できる動力分散型の電車の開発に全力が注がれたました。

それまでは電車は騒音と振動がひどく長距離列車には不向きでしたが、80系湘南電車や空気バネ台車の試作車の90系、小田急電鉄の初代ロマンスカーの開発で蓄積した技術を基に、昭和32年から1年間の短期間で、後の新幹線0系にも通用するほどの近代的で快適な車輌に仕上げたのです。
防音設計のモノコックボディーや最新技術の空気バネを採用したり、また快適性を向上するため、パーラーカーやビジジネススペース、列車電話、ラジオなども投入され、ビュッフェ(食堂車)には冷蔵庫、ジュースクーラー、電熱式酒燗器、エアタオル、エアコン(ユニットクーラー)など国民的あこがれの電化製品が満載されました。また、昭和33年5月には完成イラストも発表。併せて愛称も公募され、東京・大阪間を日帰り出来るという所から、行って帰って来る『こだま』に決定したのです。

web-01-kiji-sub-151kei.jpgweb-01-kiji-sub-181kei.jpg初の営業運転は開発に慎重を期した為に予定より1カ月遅れの昭和33年11月1日でしたが、その後日本の高度成長の象徴として昭和39年の東海道新幹線の開通まで力強く走り続け、改良を加えられ181系になってからも山陽本線や上越線などで在来線特急として活躍をしました。
高速鉄道網の新幹線も充実し、東京駅もリニューアルした現在では、冒頭の写真の光景は遥か彼方の昔話しですが、夢と希望が満ちあふれていた時代を思い出させます。

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