2012年10月、約100年ぶりに開業当時の姿に復刻して話題になっている東京駅ですが、左の写真は昭和35年の東京駅ホームの写真で、東海道本線のビジネス特急「こだま」と、急行列車を牽引する蒸気機関車が並んで出発を待つ姿です。
東京駅に蒸気機関車が停まっているのに、取り巻きがいないどころか誰も見向きもしていない所が、笑ってしまうほど昭和30年代を感じさせます。
時あたかもスピード化時代で、技術力も生産力も消費も先進国と肩を並べ始じめた日本。一時代を牽引してきた蒸気機関車と最新鋭の電車特急が並ぶ光景は、時代の変わり目を象徴するひとコマです。
この『こだま』の151系は昭和33年に誕生した特急車輌で、第二次世界大戦が終戦して間もない混乱期の、昭和24年(1945年)に鉄道省(省線)から日本国有鉄道鉄道(国鉄)になった際に、鉄道近代化の構想が練られ、当時の最新技術を結集して作り上げられた夢と希望が詰まった乗り物でした。
昭和26年には日本航空が国内線を就航したり、国の高速道路網計画が発表されるなどして、当然のことながら国鉄にも長距離輸送の高速化が求められたのです。そこで今までの機関車による客車牽引ではなく、幅の狭い国鉄の線路でも安定して走行できる動力分散型の電車の開発に全力が注がれたました。
それまでは電車は騒音と振動がひどく長距離列車には不向きでしたが、80系湘南電車や空気バネ台車の試作車の90系、小田急電鉄の初代ロマンスカーの開発で蓄積した技術を基に、昭和32年から1年間の短期間で、後の新幹線0系にも通用するほどの近代的で快適な車輌に仕上げたのです。
防音設計のモノコックボディーや最新技術の空気バネを採用したり、また快適性を向上するため、パーラーカーやビジジネススペース、列車電話、ラジオなども投入され、ビュッフェ(食堂車)には冷蔵庫、ジュースクーラー、電熱式酒燗器、エアタオル、エアコン(ユニットクーラー)など国民的あこがれの電化製品が満載されました。また、昭和33年5月には完成イラストも発表。併せて愛称も公募され、東京・大阪間を日帰り出来るという所から、行って帰って来る『こだま』に決定したのです。
初の営業運転は開発に慎重を期した為に予定より1カ月遅れの昭和33年11月1日でしたが、その後日本の高度成長の象徴として昭和39年の東海道新幹線の開通まで力強く走り続け、改良を加えられ181系になってからも山陽本線や上越線などで在来線特急として活躍をしました。
高速鉄道網の新幹線も充実し、東京駅もリニューアルした現在では、冒頭の写真の光景は遥か彼方の昔話しですが、夢と希望が満ちあふれていた時代を思い出させます。