鉄道車両とその光景

昭和の夢と希望を乗せて駆け回った『キハ82』。

昭和36年の上野駅での白鳥号高度成長期まっただ中の昭和36年(1961年)10月1日(日)の国鉄ダイヤ改正で登場した特急白鳥号。前年に登場して故障多発のボンネット型のキハ81系を改良して量産されたキハ82を使用し、非電化区間がまだまだ多かった時代に活躍したディーゼル特急の先駆けです。

この写真は、昭和38年の7月12日に家族と金沢へ墓参り兼ねた旅行に行った際に見送りの祖父が撮った上野駅での思い出の一枚です。当時としては貴重なカラー写真で、美しいカラーリングの車体ですが、運行してから2年弱なのでそろそろディーゼル特有の汚れが目立ってきているのがよくわかります。また人々の佇まいもモノトーンな感じで、どことなく昭和の風情が漂っています。

この大阪と青森、上野を直江津で分割 ・合弁して結んだ『特急白鳥』のキハ82は、その後、山陰・山陽・紀勢や九州地区でも活躍し、国鉄の特急網の担い手となりました。しかし昭和39年の東海道新幹線の開業頃には国鉄の電化区間も距離を延ばし、また続々と軽量で高性能の後継車両が登場しこともあって1980年代の前半は北海道と山陰で余生を送り、その後惜しまれつつ廃車となりました。
2013年の今では目的地までの所要時間がかかるディーゼル特急は北海道・山陰・四国・九州の一部を残すのみとなりましたが、JR九州久大本線の『ゆふいんの森』号のように車内でゆったり過ごせる工夫が多く取り入れられたりと、各地に特色をいかした列車が多数あり旅の楽しみのひとつになっています。

香住駅キハ82-01香住駅キハ82-02最後にキハ82に乗ったのは、廃止される3年前の昭和58年(1983年)6月に山陰本線の余部鉄橋を見に京都駅から乗った特急『あさしお』でした。この頃はまだ高山本線や紀勢本線などでも活躍をしていましたが、『白鳥号』に組み込まれていた食堂車のキシ80は廃止車になり、グリーン車のキロ80も希少な車輌でした。またこの『あさしお』も老朽化していて、世代交代を予感させます。

デビューした当時は、運転席のパノラマウインドーといい、ヘッドライトまわりといい、スピード感と未来感覚に溢れたデザインでしたが、全国で電化が進み、新幹線が整備され、第一線を外れてからは、先頭車両の運転席側に中間車両を増結したり、先頭車が重連で増結されたりと、マニアがゾクゾクしそうな運用が数多くありました。キハ181系の登場により、気動車の大出力化が計られ近年に至りますが、日本中を高速で結んだ、高度成長の担い手のキハ82は、誰もが認める国鉄時代の名車です。

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