この写真は1971年(昭和46年)12月26日に、兵庫県内の山陽本線と山陰本線を結ぶ播但線で撮影した1枚です。左は寺前駅で給水を受けている『C11-177』で、右上はその部品のボルト、右下は始発駅の姫路駅で、出発前に客車との連結部分のデッキから撮影したものです。
ボイラーの左右とキャビン後部の石炭庫の左右にある水タンクに給水をしている光景を撮影していたのですが、動力源の水を満タンにし過ぎて吸水口から勢い良く溢れ出してしまったようです。
その水の音と吹き出す蒸気の熱気と汚れきった車体の迫力が相まって、まるで巨大な生物の様でした。
姫路駅から乗った列車でしたが、終着の和田山駅からは6駅も手前の寺前駅で、客車から機関車を切放して、給水に向かうなんて、今思えば何処までのんびりしていた時代なんだろうかと、つくづく感心してしまいました。
確かこの寺前駅で20分以上停車していたと思いまが、鉄道好きには、たまらないひと時でした。
現在のデジタルカメラだったら100枚以上は撮影していた事でしょうが...。当時はモノクロフィルムであっても決して安いものではなかったので、今になってみればこんなに貴重なシーンなのに数枚しかシャッターを切りませんでした...。つくづく残念!
やがて補給を終えて客車の先頭に戻ってきたC11-177の表情には力が漲っていて、和田山駅まで、もう一仕事!っていう、高度成長期を牽引してきた老兵の気概を感じずにはいられませんでした。
ところで冒頭の写真のボルトですが、本当にこのC11-177のものです。なぜ手元に有るかと言うと、この時、終着の和田山駅で撮影していると、フロントのデッキに10本ほどの錆びたボルトが放置してあるのを発見したので、まだキャビンで作業をしていた機関士さんに、ネジが外れていますよと伝えたところ、メンテナンスで交換したボルトがお置き去りになっているとの事で、機関士さんが安全のために一応撤去したのですが、その内の1本を記念にくださったものです。予想もしていなかった出来事にとても感動し、歓喜していたので、そのフロントデッキの詳細な証拠写真を撮るのを忘れてしまいました...。またまた残念!
なので何処のどの部分に使われていたボルトなのかは不明です。
1960年(昭和35年)よりDF50形やDD54形でディーゼル機関車化が図られ始めたこの播但線は、1972年(昭和47年)に無煙化されたので、これらの写真はその直前の貴重な一コマとなりました。